スタート・高月駅・木ノ本駅→→→→最終・長浜駅
元亀元年姉川を挟んだ織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の決戦の地。
この戦に敗れた長政は小谷城で籠城・落城・自害 戦国武将の短い一生を閉じます。
信長が戦勝を知らせるのに「山も川も死骸ばかりにて…」と言っているほど沢山の犠牲者が…
湖北地方は古くから良質の鉄の産地で有ったので、鉄砲が伝わって程なく鉄砲制作を始めたと思われます。
織田信長が戦国時代に鉄砲隊を組織し戦に勝ち抜いてからは、鉄砲隊の戦の中での不動の地位を占めるようになりました。
信長の鉄砲の生産の産地として、堺と国友が有力視されて居り、国友はその後も徳川家康の保護を受けるなど、日本最大の鉄砲生産地として発展してゆきます。
当地の土豪・井口氏の菩提寺
お江の父長政の生母「阿古」は井口弾正の娘。
井口氏と浅井氏は、浅井氏発祥の地とされる丁野とは近く土豪同士の結びつきが有ったとおもわれる。
悲惨な最期で有名な「阿古」の実家が有ったと伝わる所。 すぐ近くに日吉神社・円満寺などがある。
旧浅井町ゆかりの五先賢の顕彰運動の拠点。
地理的に小谷城の落城の時のお市の方と三姉妹の脱出路と伝わる地域にあり、付き添ったと伝わる侍女『盛秀』の墓にも近く、脱出ルートの解説なども地図付きで詳しく解説されてます。
小谷城への入り口の一つに有り、ここの資料館にて小谷城と、浅井氏の基礎知識をお持ちいただきますと、強固な山城であった小谷城の様子がよくお分かり頂けます。
元は小谷山山頂に、泰澄が開いたとされる、浅井氏の祈願寺。 小谷城落城の時ことごとく焼かれたが、時の長浜城主秀吉により現在の場所に再建されました。 秀吉よりの朱印状も保管。
旧浅井町ゆかりの五先賢の顕彰運動の拠点。
地理的に小谷城の落城の時のお市の方と三姉妹の脱出路と伝わる地域にあり、付き添ったと伝わる侍女『盛秀』の墓にも近く、脱出ルートの解説なども地図付きで詳しく解説されてます。
近年拓本から、『盛秀』の文字が浮かび上がり侍女
『盛秀』の墓として五先賢の館にて企画展も行われている。 侍女『盛秀』はお市の方三姉妹を実宰院に送り届けた後北野地区に戻り、お市と三姉妹の無事を小谷城に向かって祈り続けたと伝わっています。
写真は小谷城裏門と伝わる実宰院の門 。 浅井長政の腹違いの姉昌安見久尼が、 小谷城落城前夜にお市と三姉妹を城から逃れさせ実宰院で保護
追っ手が来たとき大きな昌安見久尼の法衣でかくして、守ったとされる。 秀吉よりの朱印状も伝わる。
三姉妹の物語を発信する資料館として改修され、お江の生後間もない様子などが、ジオラマにて展示、姉川
合戦の様子や、小谷城脱出の様子を分かりやすく解説してある。
その他戦国時代に草野槍として、名をはせた草野鍛冶の様子や、座繰生糸の産地として広く知られた、養蚕の様子、江戸時代の庄屋を移築した建物でむかしの暮らしの学習も出来ます。