スタート・余呉駅→→→→最終・長浜駅
写真は賤ヶ岳山頂より余呉湖を俯瞰。 余呉駅は対岸になります。 (賤ヶ岳山頂へは、このコースでは参りません。)
山頂より余呉湖畔が、賤ヶ岳合戦の激戦地。
大岩山の戦より、中川清秀に後々の供養を依頼された医者の沖永玄哲が、木之本の浄信寺を訪ね中川清秀はじめ配下の武将の霊の弔いを依頼。それより浄信寺は中川家の菩提寺として深い関わりをもつ
玄哲子孫は浄信寺の隣に土地を与えられ中川家及び合戦で亡くなった将兵の弔いを続けている。
柴田勝家を北の庄に逃すため、勝家の馬印、金の五幣を受け取り身代わりになり戦って討ち死にした。
秀吉も主君の身代わりに、かくまで戦った姿に感動し、亡骸を懇ろに葬り、全長寺に弔いを依頼した。
現在でも全長寺では菩提寺として、供養が行われ、賤ヶ岳合戦の戦死者の供養も行われている。
大岩山の戦より、中川清秀に後々の供養を依頼された医者の沖永玄哲が、木之本の浄信寺を訪ね中川清秀はじめ配下の武将の霊の弔いを依頼。それより浄信寺は中川家の菩提寺として深い関わりをもつ
玄哲子孫は浄信寺の隣に土地を与えられ中川家及び合戦で亡くなった将兵の弔いを続けている。
浅井三代と小谷城の資料館
浅井亮政・久政・長政と長政夫人お市の方の資料展示や、城跡よりの出土品の紹介。
小谷城の復元イラストや、周辺の山城の紹介。
元亀元年4月に信長の朝倉攻めに浅井長政が反旗を翻し信長を窮地に追い込んだ長政に対し6月28日早朝に、織田信長・徳川家康連合軍対浅井長政・朝倉景建の連合軍が戦った所。
湖北の古戦場では、賤ヶ岳と並んで見逃せない所
湖北地方は古くから良質の鉄の産地で有ったので、鉄砲が伝わって程なく鉄砲制作を始めたと思われます。
織田信長が戦国時代に鉄砲隊を組織し戦に勝ち抜いてからは、鉄砲隊の戦の中での不動の地位を占めるようになりました。
信長の鉄砲の生産の産地として、堺と国友が有力視されて居り、国友はその後も徳川家康の保護を受けるなど、日本最大の鉄砲生産地として発展してゆきます。
長浜市石田に三成公の出生地があり現在の石田会館付近が石田屋敷のあった所です。すぐ近くに八幡神社があり、石田氏の氏神と伝わります。 神社裏手には三成公供養塔が最近建立されました。関ヶ原の戦いに敗れた三成は山伝いに、ふる里湖北(木之本町古橋・三成の母のふるさと)に落ち延び村人に匿われていましたが、通報により捕まって京都に護送され最期を遂げました。
貸し切り料金
小型車定員4名 26,520円
中型車定員5名 26,520円
ジャンボ定員9名 33,960円
〒529-0425
滋賀県長浜市木之本町木之本1545
TEL.0749-82-2135
FAX.0749-82-3217
営業専用
TEL.0749-82-2880
FAX.0749-82-2135
JR北陸線木之本駅前